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にかのこと

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📖

子供のころ、家では、いつも親が喧嘩をしていた。
怒鳴り声、ものが飛び交う音、暴力。止めに入るのはいつもわたしだった。

その矛先がわたしに向かうと、外に出されるか、真っ暗な押し入れに入れられる。そうしてその日の喧嘩は収まる。

それが虐待だと気づいたのは大人になってからだった。
それが当たり前の日常だったから。

そんな中で、わたしを支えていたのは「見えない何か」だった。

 

 

 

一人ぼっちで暗闇に閉じ込められたとき、冷たい夜の空の下に立たされたとき いつも守ってくれている存在を感じていた。 だから、怖くても耐えられた。 わたしは常に周りを気にしていた。 いつ喧嘩が始まるかわからない。始まらないように、両親のご機嫌を取る。 始まったら、弟を守る。 そうやって生きていた。 目に見えないものを感じていた。 でも、それを誰にもわかってもらえない。 母は、わたしを「父にそっくりだ」と言って、嫌なものを見るような目を向けた。 勉強も運動も苦手なわたしを、「成績が悪いのは父のせい」と決めつけた。 母にとって、わたしは「自分の思い通りにならない子」だった。 だから、わたしをどうにか変えようとした。 でも、頑張ってもできなかった。 どれだけ努力しても、思うようにいかない。 わたしは、自分をずっと責めていた。 「なんでできないんだろう」 「なんでみんなみたいになれないんだろう」 どうにもならない自分のことを 「わたしはおかしな子なんだ」と思うようになった。 それでも「わたしは大丈夫」という確信があった。 毎晩、見えない存在に祈っていた。 「これで大丈夫」と感じるまで、ずっと。 そして大人になって、あるとき気づいた。 あのとき感じていた存在は、大天使だったのだと。 でも、あの頃のわたしは、それを言葉にすることもできなかった。 ただ、「この世界には、見えないものがある」と感じながら生きていた。 そして、成長していく中で、その感覚は少しずつ薄れていった—。 父の仕事の都合で転校が多かった小学生時代。 大好きだった田舎の小学校から転校した先では、いじめがあった。 一人の子が標的になっていた。 それまで「いじめ」というものを知らなかったわたしは、その子にも普通に接していた。 でも、一緒に廊下を歩いていると、他のクラスの子たちから冷たい目を向けられるようになった。 その視線が苦しくて、気づけばその子と自然と距離を取るようになった。 でも、それがすごくいけないことのように思えて、自分を責めた。 どこにも居場所がない。 そう感じるようになり、学校へ行くのが嫌になった。 なんとか小学校を卒業した。 中学になっても状況は変わらなかった。 いじめはなくならず、厳しい校則、先輩との関わりも苦しくて、不登校になった。 家で一人で過ごす時間は、 自分を責める時間だった。 「みんなと同じように学校へ行けない自分はダメなんだ」 そう思いながら、ただ時間だけが過ぎていった。 先生との面談、相談機関での相談に連れて行かれた。 そこでも、誰もわたしの気持ちをわかってくれないと感じ、次第に誰とも話さなくなっていった。 ある日、突然、車に乗せられた。 行き先は県外の 不登校の子が暮らす施設。 何も知らされないまま、わたしは家族と離れ、そこで数年を過ごすことになった。 でも、その環境はわたしにとって少しだけ安心できる場所だった。 学校へ行けない子ばかりだから、気が楽だった。 少しずつ、元気を取り戻していった。 中3になり、元の学校に戻らなければならなくなった。 でも、みんなのように勉強もできず、教室にも入れず、 劣等感がどんどん強くなった。 出席日数を稼がないと高校進学は無理だと言われ、保健室登校をすることになった。 でも、保健室に生徒が来ると、隠れたくなった。 友達が心配して誘ってくれることもあったけど、それがかえって 「わたしは普通じゃないんだ」 という思いを強くさせた。 冷たい視線を送る先生もいた「わたしの居場所はどこにもない」と感じていた。 なんとか出席を稼ぎ、高校へ進学した。 けれど、そこには 同じ中学の子たちもいた。 「わたしがどんなふうに過ごしてきたか、知られたくない。」 それが、なにより怖かった。 だから、 学年で1位を取ろう と決めた。 そうすれば、誰もわたしに何も言わない。 気が狂いそうになりながら勉強し、学年1位を取り続けた。 楽しい友達にも恵まれた。 でも、 「わたしのおかしさがバレたらどうしよう」 という恐怖はずっとあった。 1位を取ることだけが、自分を守る手段だった。 「もう絶対に引きこもりには戻らない。」 「誰にも何も言われないように頑張る。」 それだけが、わたしを保つ術だった。 そして、短大へ進学しわたしの過去を知らない人たちの中で少し安心できるようになり、少しづつ人と関わることに慣れていった。 母になって 今振り返ると、母として必死だった。 自分が子供の頃に体験したことを、子供たちにはさせたくなかった。 母としての「正しさ」 を求めた。 子育ての情報を集め、こうするべき、ああするべきと自分に言い聞かせた。 「完璧な母」 になろうとしていた。 でも、頑張れば頑張るほど、子供たちの個性を抑えてしまっていた気がする。 自分が休むことも許せなかった。 「怠けてはいけない」 「動かなきゃダメになる」 そう思い込んで、心身ともに限界を超えても、わたしは動き続けた。 疲れ果てて動けなくなっても、横になることすら許せなかった。 「こんなんじゃダメだ」と、自分を責め続けていた。 そんな中、次男が不登校になった。 どうにかしなきゃ——。 相談機関、医療機関、学校。 わたしは息子を学校へ戻すために、できることは何でもした。 でも、何かが違う‥。 相談に行くたびに、自分を責める気持ちは強くなり、息子も楽になるどころか、追い込んでしまっていると感じるようになった。 それでも、学校へ行かない息子が家にいるという事実が怖かった。 わたしのよう引き籠りになってしまったら、苦しむことになる、だから 「このままじゃダメだ」と思う。そのたびに、何かをせずにはいられなかった。 違和感を感じながらも、相談機関へ行くことをやめることができなかった。 どんどん苦しさが増していき、次男のためと思ってしていたことが、自分が子供の頃、親にされて辛かったことを次男にもしていたことに気づいた。 そして、全ての相談機関へ行くことをやめた。 何も変わらない現実‥。 母であるわたしがこんな状態ではダメだ。変わらなければ‥。と、自分を責めながら過ごしていた。 スピリチュアルとの出会い そんな時、 1冊の本 に出会った。 新しい世界観に触れた衝撃があった。 でも、どこかで「知っている」そんな懐かしい感覚もあった。 「この本を書いた人に会いたい」 そう思った瞬間、わたしは動いていた。 それまでのわたしが嘘のように、軽やかに、楽しく、思いついたら即行動するわたしになっていた。 そして、 導かれるように“大天使”という存在を知る。 最初は全く信じていなかった。 でも、「これでもか」と言わんばかりの出来事が次々と起こる。 大天使という存在を信じざるを得ないと感じるようになっていった。 降参するように、大天使とつながる学びへと進んでいった。 「これだったんだ!」 初めて意識的に大天使とつながったとき、確信した。 子供の頃からわたしを守っていた存在。その感覚。 それは、大天使だったのだと。 そこから、スピリチュアルの世界にどっぷりとハマっていった。 奇跡体験が次々に起こり、毎日が面白くて、「これで人生ずっとうまくいく」と思った。 子供の頃に感じていた 目に見えない見守りは、本当にあった。 わたしが感じていた、つかめない感覚的なものたち。 奇跡体験を通して、それらを「信じろ」 と教えてくれていたのだと思う。 ふわスピ時代の気づきと心理学へ スピリチュアルの学びを続け、奇跡体験を繰り返す日々。 「これでわたしの人生はずっとうまくいく」と思っていた。 でも、あるとき気づいた。 「このままじゃ、地に足がついていない。」 ふわふわした感覚の中で、「大きな気づき」と思っていたことも、結局は現実に活かせていなかった。 それに、どこかで「このままじゃダメだ」という違和感を抱えていた。 セミナージプシー時代でもあった。 そして、ある時大きな失敗をして、気づいた。 「わたし、ふわスピだった。」 そこから、「ちゃんと地に足をつけて生きよう」と決め、心理学の学びへと進んでいった。 心理学からヒーラーの学びへ 心理学の学びを深めるうちに、エネルギーの影響を強く感じるようになっていた。 大天使のヒーリングをしていたこともあり「ヒーリングをもっと深く学びたい」という想いが湧いてきた。 そして、ヒーラーとしての学びへと進んでいった。 ヒーラーの学びは、単なる技術ではなく、 自分と向き合うことそのもの だった。 ワークを通じて、新しい感覚や気づきが生まれる。 それは、まるで未知の世界が広がっていくような体験だった。 それらは、いつの間にか 「特別な体験」 になっていた。 この体験が「成長」でもある。 この先に、何かがある—。 「わたしをもっと高みに連れていってくれる」 「この先に、もっとすごい何かがある」そんなふうに信じていた。 そんな学びは、気づけば終わりのない自己探求のループになっていた。 学び続けることが成長ではなく、ただの幻想を追いかけることなのかもしれないと感じるようになった。 違和感と葛藤 長年続けてきた学びに、次第に違和感を感じるようになった。 でも、やめるのが怖かった。 「この道から外れたら、ダメになってしまうんじゃないか。」 そんな思考が浮かぶ。 でも、 腹の奥から湧き上がる違和感は増す一方だった。 葛藤し、苦しみ、腹からの声と感覚を無視できなくなった。 そして、学びをやめた。 「いつだって今ここしかなかった」 学びをやめ、仕事でクライアントさんと対面する中で気づいていった。 わたしは、何者かになろうとしていただけだった。 ずっと、幻想を追いかけていたということ。 そうして気づきながら、わたしは緩んでいった。 その頃、 ワンネス体験 を何度かするようになった。 そして、大笑いした。 「いつだって、今ここしかなかった。」 「いつだって、わたしでしかなかった。」 今ここに、いつでもあったものをずっと探し求めて難しくしていたなんて! 以前取り組んでいた、ヒーラーの学びと自己探究は、 肉体、感情、精神、エネルギーー、霊的、すべてのレベルに気付きながら、細かく捉えていくものだった。 もっとシンプルで、もっと軽やかに変化できる方法があるんじゃないか? そう感じるようになっていった。 今振り返ると、当時は、学びの視点でしか物事を捉えることができなくなっていたように思う。 すべてはシンプルだった 振り返ると、わたしがたどった道のりは、すべて繋がっていた。 どこかに「正解」があると思って学び続け、何者かになろうとしていた。 でも、最後にたどり着いたのは、たったひとつのことだった。 「いつだって、今ここしかなかった。」 「いつだって、わたしでしかなかった。」 探すものなんて何もない。 もう、何かを足していくのは終わりにして、今ここを味わっていこう。 軽やかに遊ぶように♪ 難しくしすぎず、学びすぎず、遊ぶように気づいていく。 「こっちの方が楽しそう♪」 「なんか面白い!」 そんな風に、自分の感覚を大切に、自分にいちばん優しく進んでいく旅。 無理に変えようとしなくても「わたしのままで、大丈夫だった」って、 ここににほっとしくつろいでいく、それぞれのわたしらしさが咲くきっかけになれたらと思っています。 自分に優しく、いろんな自分を自由に楽しめたら、生きるのがもっと軽やかになる。 わたし自身も、いろんな”わたし”を味わいながら過ごしています。 そんな味わいという遊びの中 ”わたしらしさ”にくつろいでいく。 なんか、わたしっていいじゃん。 おもしろいじゃん。 そんな、新しいわたしに出逢う旅路をご一緒できたらと思っています。

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想いを言葉にしています

思ったことや、気づきをブログに書いています。

時には深い話し、時にどうでもいいことも。

まとまってないかもしれないけど、それもまた味。

よかったらのぞいてみてください。

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わたしが大切にしているのは、

わたしらしくいること。

 

その在り方がふっと誰かに伝わって、

空気みたいに、あたたかさが広がっていく。

 

そんな風にして、

いつのまにか生まれる “ほっとするつながり” を育んでいきたいと思っています。

そして、
目に見えない感覚と現実の間に、そっと橋をかけるようなわたしでいられたらと願っています。
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